やすだきさ年表(ちょっと情報量多め)

1980年 大阪府吹田市に生まれる。

1989年 小学3年から兄が通っていた柔道教室に通い始める。練習が好きではなく、練習前に熱を計っては休もうとしていた。

1993年 課外活動でかじったサッカーが楽しくて中学校ではサッカーをしたかったが、女子サッカー部員が3人しかいなかったため、サッカーへの転向を諦め、周りの期待に応えるように柔道部に入部。練習嫌いといえどもストイックに毎日朝から晩まで柔道の日々、、中学3年で大阪で優勝し、近畿大会、全国大会に出場したが両方とも一回戦敗退。

1996年 立命館宇治高校入学。柔道部入部、2年冬には全国大会で3位に!自動的に全日本ジュニア強化選手に選ばれる。足払いだけは誰にも負けない自信はあったが、気力体力闘争心が私の中には見つからず、初めて参加した全日本の強化合宿が辛すぎて柔道をやめようと決意。上には上がいることを実感する機会だった。

1998年 高校の研修旅行でドイツへ。初めての海外経験だったこともあり全てが刺激的な体験だった。その時のホストファミリーの温かさに触れドイツが大好きになり、その後ドイツ語を熱心に勉強し始めメキメキと上達!

1999年 立命館大学入学。念願の体育会女子サッカー部に入部、ゴールキーパーに目覚める。瞬発力を発揮するのが楽しくてGKにのめり込んでいった。3年生でキャプテンを務めるが、自身のあがり症やチーム内の人間関係に悩み、著しくパフォーマンスが悪化。それをきっかけに心と身体のつながりに関心を抱く。日常の足だった愛車のスーパーカブ90で、夏休みにはテントを積んで一人旅で九州や四国の温泉巡りをしていた。

2002年 バイト先にお客さんとして来たJリーグのコーチがドイツのチームを斡旋してくれることに。ドイツの天然芝でゴールキーパーを極めたい!と思い、大学を休学しドイツへ。語学学校に通いながら地元サッカーチームに入りブンデスリーガ4部でプレーする。22歳の誕生日、日本食料理屋でばったりバイエルンミュンヘンの伝説のGK、オリバーカーン(日本では、ノーローンのCMで横飛びしていた人)と居合わせ、ドキドキしながら話しかけてサインをゲット!もう少しお話しようとしたら「Alles klar!(もういいよ!)」とあしらわれる。同席していたミヒャエルバラックはテレビで見るより断然男前で対応もカーンと対照的に紳士だった。(バラックかっこよかったー♡)

2003年 語学試験に合格ならず、ドイツでの大学入学を断念。チームでのプレーも伸び悩んでいた。精神世界や民族学などに関心を持ち始めていたこともあり、大学に戻って勉強しようと帰国を決意。とは言え、留学期間はくじけるまで!と宣言して出てきたこともあって、約2年での帰国は大きな挫折体験だった。

2005年 大学に復学し卒論テーマを考えたときに、ドイツ滞在中にカフェで「日本人か?ZENは知ってるか?」と聞かれて「知らない」と答えたら怒って行ってしまったおじいちゃんに出会ったことがきっかけに興味を抱いた「ZEN」を卒業論文のテーマとする。この頃、ありのままの自分でいるにはどうしたらいいのか?と心の問題を解決すべく、インナーチャイルドワーク、山伏修行、ヨガ、瞑想、様々なボディーワークなどを実践する。ある日、自室で呼吸法を実践中に仙骨から強烈なエネルギーがうずまいて火柱が立ち上るような体験をし、のちにそれがクンダリーニ覚醒の体験だったことを知る。振り返れば、精神世界を身体で体験する期間だった。

2007年 当時、メンタルトレーニングと言えば、アメリカから入ってきたものが主流だったが、日本人に合ったメンタルトレーニングを研究したいと思い、同大学院に進学。意識・催眠研究の第一人者、齋藤稔正教授のもと、心理学をベースに日本人の身体観や東洋的な身体技法が人間形成に及ぼす影響について修士論文を執筆、その論文が文学研究科で優秀論文に選ばれ、学費が半額返還された!学びを実社会に生かしたいと思い、気持ちが落ち込んでる時にも通えるような癒しのフィットネスクラブを作る!とフィットネス業界3位だった株式会社ルネサンスに入社。上司の影響でキネシオロジーなど身体から心理的課題にアプローチする手法を学び、パーソナルトレーナーとして実践する日々を送った。

2007年 入社した年の冬に、会社の事業所で国内で初めての民間企業における銃乱射事件が発生し、死傷者が出たことで大きなニュースとなる。本社からメンタルケアチームの一員として異例の辞令が出て、従業員のトラウマケアに当たった。その時に用いた「思考場療法(TFT療法)」の高い効果性を知ることになる。その後、人事部にて採用業務や労務管理、社内のメンタルヘルス体制の構築や各種研修、休職者やメンタル不調者の相談役および約8000人を対象とした社内の相談窓口に従事。

2012年 3.11の震災をきっかけに大阪へ帰ろうと退職したが、東京からそのまま諏訪地域に嫁ぐことに。同時期に発足した地域活性化団体「諏訪サイクルプロジェクト」の事務局として活動する。その活動要員として、諏訪市役所に1年間勤務。

2013年 下諏訪町の商店街に地域活性化拠点「御田町サイクルステーション」をオープン。地域おこしの一環として始まった、諏訪地域ケーブルテレビLCVで「自転車情報番組 Plus Bicycle」のリポーターを始める。

2015年 サイクルステーションの運営資金が底をついたため、街を盛り上げながら利益が出る手段を取ろう!と古民家カフェ「タロウ珈琲弐号店」として中山道沿いに再オープン。大好きなドイツビールとホットドッグを売りに、地元のクラフトビールなどを扱う店は当時には珍しく、遠方からのお客さんや地元のおじちゃんたちとの交流の場となっていた。看板メニューとしてドイツのホットドッグが人気で、結構儲かってんじゃない?!とどんぶり勘定でいい気持ちになっていたある時、なぜかお金が手元に残っていないことに気づき、蓋を開けたらホットドッグの利益率がすこぶる悪く赤字の要因だったために1年であっさりメニューから消える。そこから飲食店経営の難しさを痛感する日々を送る。

2016年 別居期間を経て離婚。体調を崩していることにも気づかないまま、昔からお世話になっていた先生の施術受けることになったが、その施術に感銘を受けてその先生から本格的に整体を学び始める。同時期、忍者の末裔の先生との出会いもあり、体術や柔術を学び日本古来の身体の使い方を学ぶ。

2018年 「養生ノ部るうむ」開院、トラウマケアなどを中心とした心身のケアを始める。

2019年 これまでの人生を振り返る機会を得て、自己理解が深まり様々な手放しが始まる。周りからの評価を得るために頑張ってきた自分や、ストイックな修行僧のように「学ばなければいけない」「辛くなければ成長しない」という強い観念があったことに気づき、より自由に、楽しく生きることへシフトチェンジする。

2020年 コロナをきっかけに世の中に対してこれまで感じていた違和感にはっきり気づく。自分がやりたいことだけを選んで生きていこうと思い、本来したかった企業のメンタルヘルスの仕事に舵を切るべく、飲食店を予約やイベント営業のみとし、ほぼ休業状態にする。下諏訪町職員向けの心理相談員として受託開始。ひょんなことから鳥のタロットカードを使ったカードリーディングも始める。

2022年 諏訪地域が大好きで、自分を生かして地域を元気にしたい!と、企業を支えるメンタルヘルスサービス事業を本格的に始動。「共創ノ部funf(フンフ)」を立ち上げ、"役に立つ"心身のトータルケアを通して、ひとりでも多くの人が自分らしくより豊かな人生を送ること、人も会社も世の中も良くなることを目指して活動中!


ご予約、お問い合わせは以下のいずれかよりどうぞ

お電話:080-9507-3769
メール:tarocoffee2510@gmail.com
お問い合わせフォーム: